2011年03月10日

お義母さんの死

お義母さんが亡くなって四七日が過ぎました。
余りにも突然の別れでした。
1月18日に病院で見てもらい、
家で養生していたのですが、
22日の朝、食欲がないく息遣いが苦しそうなので
急患で島の診療所に見てもらうことに、
先生に診てもらうと
今から、ドクターヘリで本島の医師会病院へ
搬送するとのこと、
私は、最終4時のフェリーで行く
ことにしました。
色々な検査があり、病院でお義母さんに
会えたのは2時間後でした。
でも、酸素マスクをしていましたが、
元気に話しかけるのでホットしました。
しかし、先生からの病気の重大さを聞き、
身体の血の気が引き頭が真っ白になりました。
病名は間質性肺炎との事、
この病気のことは殆ど聞いたことが
なく、まったく無知でしたので、
入院して治療すれば
直ぐに良くなると思っていました。
集中治療室に入ったので、
看護婦さんから近くで待機して
いつでも来れる場所にいるように
と言われ、朝まで祈りながら待っていました。
きっと良くなっているはずと、、、、
朝早く看護婦さんに許可をもらいICU
に入ると、昨日よりも息ぐるしい
様子、ビックリして看護婦さんに聞くと、
急に様態が悪くなったので先生を呼んだ
ところだと言われ、私は必死に動揺を隠し
お義母さんに必ず治るから心配しないでよ~
と声をかけると、
お義母さんが私にしわしみてぃや~(心配かけたね)
と言いました。
先生がこのままだと危ないので
口から人工呼吸器を挿入する
言われ、助かるのならと主人が
承諾して一命は取り留めました。
でも、お義母さんは話すことが
出来なくなりました。
もっとはやく病院に連れて行けば、、
主人も一緒に来てもらっていたら、、
などなど後悔ばかり、、
そして、2週間の間、子供達、孫、親戚、友人など
が何度も見舞いに来て励ましてくれたり、
先生や看護婦さんも懸命な治療を施して
くれましたが2月7日に永眠いたしました。
享年86歳、
あまりに突然のことにまだまだ
受け入れることが出来ないでいる。
私がこの家に嫁に来て30年、
色々な出来事が走馬灯のように
よみがえってきます。
主人の両親との同居は初めうちは
戸惑うことばかりで、慣れるのに
必死でした。
お互いに我慢しながら、意見の
相違は時々ありながら家族になって
来ました。
生活はけして裕福ではなかったけど
幸せな日々でした。
そして、子供達も4人となり
8人の大家族は賑やかで、
食事の支度はけっこう大変でした。
でも、私が体調を壊した時は、
おかゆとお吸い物(おわん一杯に
削った鰹節と少し味噌を入れお湯を
注いだもの)を作ってくれる
やさしいお義母さんでした。
なので、お義母さんが風邪を引くと私も
同じようにおかゆと鰹節の吸い物を
作るようになっていました。
家族がいなくなった今、重苦しい
く沈んだ気持ちでいたときに
四十九日のレシピというドラマを
偶然みました。
妻(乙美)が突然亡くなって生きる気力を
失った父、離婚を考えて実家に戻ってきた
娘、そこへ乙美が生前互助施設で
料理の作り方を教えていた井本と
カルロスがやってくる。
井本は乙美から頼まれていた四十九日までの
細々とした家事などを引き受けに来たと。
料理のレシピの絵手紙をとおして少しずつ
前向きになっていく親子。
「わたしがいなくなっても、
あなたが明日を生きていけるように。
大切な人を亡くしたひとつの家族が、
再生に向かうまでの四十九日間。」
父から娘への言葉「みんな、ダメなところを抱えながら
生きているんだ。
だけど、そのことで落ち込まず、焦らず腐らず、
前を向いて生きていくしかない。」
の言葉は涙が止まりませんでした。
後悔ばかりするのではなく、
前に進む勇気が大事だと、
心がジーンとするあたたかいドラマに
救われた気がしました。
「四十九日の法要」は、亡くなった人の魂を死から
新しい生へと生まれ変わる準備期間を終え、
あの世へ送り届けるという意味がある。
とあります。
お義母さんが新しい生へと生まれ変わり
天国に行けるように一生懸命
法要に勤めます。
お義母さんの人生は幸せだったのかな?
孫4人と一緒に暮らせて嬉しかったかな?
いつも孫に白髪を染めてもらってたお義母さん
民泊の子供達に民謡歌手の娘を
自慢してお義母さん
ひ孫が出来嬉しそうだった!
子供達の結婚式見せたかったな~

いつ消えるか判らない命、
私も限られた人生
亡くなった後で、残された子供達に
「お母さんの人生は楽しかった
はず」と言ってもらえる
生き方をしよう!!

お義母さんへ
至らない嫁でしたが
ありがとう!!



Posted by 付き人 at 22:58│Comments(8)
この記事へのコメント
現実を受け止められない気持ちよくわかります、辛いですよね。いなくなってから後悔することが出てきます。ブログが更新されていなかったので心配していました。
Posted by ジャック&サリー at 2011年03月11日 04:45
ジャック&サリー さんへ
大きな地震ですが、大丈夫ですか?
心配しています。
やっと前に進むことが出来ています。
ありがとうございます。
Posted by 付き人 at 2011年03月11日 20:18
ありがとうございます。
地震は本当に驚きました。仕事場の事務所内で字を書いていたら机が揺れ、その後かなり長く大きな横揺れとなりました。急いで外に出て、その時間店内にいた150名のお客様を避難誘導した所、直後停に電となり、その後も余震が何度も続きました。メールを打っている今も震度4の地震がありました。今から寝るのが怖いです・・・。
Posted by ジャック&サリー at 2011年03月12日 04:29
ジャック&サリー さんへ
無事で良かった!
物凄い大きな地震と津波に驚いています。
きっと昨日は眠れない状態だったことでしょう。
まだ、余震が続いているようなので、心配ですね。
お父さん、お母さんと力を合わせて頑張って下さい。
Posted by 付き人 at 2011年03月12日 07:52
少し落ち着かれたようで安心しました。
Posted by マフ at 2011年03月13日 16:25
マフさんへ
ありがとうございます。
Posted by 付き人 at 2011年03月14日 11:55
付き人さまへ 本当に久し振りにコメントできありがたいです。色々大変な事を一つ一つ乗り越えて生きていくことが出来て人間ってありがたいですね。30年間もお義母さんとの同居を成し遂げて、本当に頭が下がります。いい事も一杯あったと思うが、辛いことや理不尽な事もあったことでしょう。私も付き人さまの足元にも及びませんが16年間同居だったので、良くわかります。天知る地知る我知ると言われるように天知る地知るお義母さん知るだよ。お義母さんは、天国から付き人さんの事を必ず守ってくれます。私も天国で、お義母さんが守ってくれたおかげで、こうして生かされています。お義母さんは、どんな時も付き人さまの心の支えになり、導いてくれるよ。付き人さまのお義母
さまへ 安らかにお眠りください(合掌)
これからいい事が一杯ありますように(*^_^*)
Posted by 薔薇っ子 at 2011年03月15日 11:30
薔薇っ子さんへ
同じ立場にいたからこそ言える、暖かい言葉に感謝(涙)
きっと、薔薇っ子さんも色々な経験をされたことと察します。
それでも家族、兄弟、友人、周りにいる人達の支えがあり頑張ってこれたのでしょうね!
私も同じです。
そして、一番大きいのはお義母さんに見守られている事です。
これからの薔薇っ子さんの幸せを祈っています!
Posted by 付き人 at 2011年03月16日 13:34
 
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